« 2011年06月 | メイン | 2011年08月 »

2011年07月 アーカイブ

自動車産業の挑戦

日本の自動車産業が行った挑戦は、アメリカ型のハイボリューム、ハイスピード生産システムの中で歴史的に累積されてきた、単能工主体の複雑な職務構造による労働慣行・・・


それによるワーカーの意欲喪失と労使の信頼関係欠如、部品メーカーを育てない部品生産と取引のシステム、市場動向の変化や環境問題などに柔軟かつ迅速に対応できない硬直化むた生産体系とまったく対照的な、新しい自動車産業のシステムを準備することになりました。


約10年にわたって世界の自動車産業の基本動向を国際的に研究してきたMITの国際自動車共同研究では、この日本の自動車産業のシステムを、欧米の在来型マスプロシステムに対比してリーンシステムと称しています。


まさにこのリーンシステムを全体として追求したことによって日本の自動車産業は、在来型のマスプロシステムに比べて、はるかに少数精鋭で効率がよいのです。


生産性と品質が両立し、多能工主体の労働慣行や市場や技術の変化に対してフレキシブルに対応できる生産システムと、部品メーカーが育ちその品質、コスト、納期と開発力が絶えず向上していくシステムを確立できました。


中古車情報検索サイトのように便利ですよね。


そしてこのリーンシステムが追求される中でこそ、日本版マスキー法や第一次石油危機への対応が可能になったといえるでしょう。


・・・やがてこうして培われつつあった新興の日本の自動車産業の潜在力が、第二次石油危機でアメリカ市場に起こった事態の急変のもとで、劇的な日米逆転のドラマを生むことになるのです。


第一次石油危機と日本車の進出

日本では石油危機直後は国内自動車需要は激減し、とくに乗用車需要が減少しました。


中古車情報などを見ていると今はその需要が復活していることがわかりますが・・・


1976年以降再び需要は1960年代後半~70年代初頭ほどの急成長はみられなくなったとはいえ、着実に増加する傾向をみせました。


そしてこの時期の経済性重視の商品戦略と、日本的合理化で培われた品質、メンテナンスのレベルの高さが、日本車の輸出拡大に結びつき、国内市場が成熟化して急激な伸長がみられなくなった時に、日本車の生産拡大の原動力となりました。


たとえば1975年の生産台数694万台に対し輸出は268万台で輸出比率38.6%だったものが、77年には852万台の生産に対し輸出が435万台で輸出比率が51.1%と遂に輸出が国内を上まわるにいたりました。


これはとくに1973年の第一次石油危機によりガソリン価格が上昇し、アメリカにおける自動車需要の中で小型車需要がふえたことが大きく影響しています。


こうして日本の自動車産業は、世界の自動車王国であったアメリカを中心に輸出を拡大し、アメリカを戦略的市場としながらしだいに国際化の度合を強めていくことになるのです。


・・・このように、第一次石油危機で日本の小型車のアメリカへの輸出は飛躍的に伸びたのですが、まだこの時点では日米逆転は起こらなかったのです。

About

2011年07月にブログ「たのしい中古車情報ブログ」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2011年06月です。

次のアーカイブは2011年08月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

なし